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中川ちょうぞうの一問一答

 

●なぜ、ビジネスマンから政治の道に入ったのですか?

 バブル崩壊して以降の30年余り、失われた古い政治を打破しないと、このままでは日本は年々衰退してしまうという危機感がずっとありました。

 在宅で介護していた母が無くなる数日前に、ふと言った言葉が今でも私の活動の原点にあります。

「介護はもういいから、これからはお国(公)のために役立ってほしい」と。私の両親は戦中戦後を苦労した世代です。自分の幸せのためだけでなく、世のため人のため、日本の将来のために役に立てと言いたかったのだと思います。

 私は「第二の人生を公に捧げる」と決意し、政策提言活動を始めて早20年になります。47歳でビジネスマンを辞め、49歳で郷里兵庫県加西市の市長になりました。

 

●日本が抱える最大の問題とは何ですか?

 最大の問題は、子供を守れず、地域を守れず、日本を守れず、国益や国富も失われ続けていることです。拉致された国民や不法占拠された領土を取り戻せないのでは、わが国の国家主権は近隣諸国から侵害されたままです。

 政党や政治家の認識や能力がなく、これらの問題を長年先送りしてきたことが直接的な原因ですが、より本質的にはそんな政治を許してきた国民にも責任があります。

 知識偏重の教育は国民が自分で物事を考え行動する力を奪っており、行政は問題が起きてから事後的に「対症療法」を繰り返すだけです。政治家たちは現場を知らず、全体を俯瞰して創造的に解決することできません。これだけ課題が山積しているのに、ビジョンと政策、能力・使命感・覚悟に欠ける政治家が多過ぎます。

 よく海外留学の経歴を売りにしている政治家がいますが、大抵は外国の考え方や人脈を日本に持ち込むだけで、本来守られるべき日本の伝統文化・社会の仕組み・美徳・風習などの価値を理解せず、外国資本にいいように利用されているのは情けないことです。日本の文化・歴史・技術・製品・サービス・社会秩序などは、その価値を国際的にもっと評価されてしかるべきです。

 

●政治は誰のものですか? 国民に何を訴えているのですか? 

 政治は、政党や政治家のものではありません。政治や自治の主役は国民(有権者)です。

現状は、多くの有権者が政治に無関心だったり、投票に行かないくせに、政治に文句だけ言っています。

 先人の苦労の上に、私たちには選挙権が与えられており、それを行使して政治参加することが大事です。「お任せ民主主義」では政治は良くなりません。情けない政治の現状を正せるのは有権者です。

 私が訴え続けていることは、政治に関心を持ち、日本や地域の現状を正しく認識し、選挙では各候補者の政策や人物を見定め、政策本位で投票し、良い政治家を選ぼうということです。そして、選んだ政治家がしっかりと働き、公約を果たしたかをチェックしよう。政党の候補者が有利で、私のような無所属の候補者が不利になる選挙制度は改正しようということです。

 

●誰が政治家になっても同じではありませんか?

 いいえ、誰が当選しても同じではありません。誰を選ぶか、どんな政策を選ぶかで大違いです。「誰がなっても同じ」というのは、独自の政策やビジョンを持たない政治家を選んでいるからです。そんな人では、前例踏襲の政治しかできません。政治や行政の古い常識に凝り固まった人には政治改革はできません。

 現場が分かる人や納税者の苦労が分かる人が知事や市長になれば、税金の無駄づかいは減らせるし、社会課題を有効に解決できます。経営手腕のある首長になれば、今より安い税金でより良いサービスが受けられるようになります。

 本気で改革する覚悟と能力のある、真に優れた政治家を有権者が選ぶようになれば、政治は良くなるのです。

 

●ちょうぞうさんは、負けてもへこたれず、なぜ戦い続けるのですか?

 私は自分のためでなく、公に対する志と使命感から、世のため日本の将来のために戦い続けています。国民(有権者)を信じ、日本の将来を想っているからこそ続けられます。

 有権者が投票に行き、賢い選択をするようになれば、私は必ず当選できると信じていますし、また私のような者が当選できなければ、日本の未来は暗いです。第二の人生、大義のために立ち上がったので、結果を出さずに投げ出すことはできません。

 当選して新発想の先駆的な公約・施策を実行することで、地方行政にイノベーションを起こし、成功事例を広めて地域から国政を変えていくことが私の願いです。たとえ、直ぐには当選できずとも、政策や人物の違いが判る有権者が増えれば、選ばれる政治家の質が向上します。  

 万一、この先ずっと当選できなくても、私の政治哲学や歩んだ道は残り、想いに共感してくれる国民が増えていけば、日本の政治は良くなります。

 私が今あるのは、産み育ててくれた両親だけでなく、直接間接にお世話になった本当に多くの皆さんのお陰です。私が受けたご恩は次世代のために、日本の将来のために尽くすことで恩送りします。

 

●落選回数はリンカーン並みで「日本のリンカーン」とも呼ばれる一方、選挙マニアという誤解もあるようですが?

 なるほど何度も落選していますが、私の政策・能力・人物などに問題があっての落選ではありません。また、私は好き好んで立候補しているのではなく、日本の将来を想って、自分の時間とお金を投じて立候補し、有権者に考える材料と政策の選択肢を提供しているのです。

 私が「選挙マニア」とは甚だしい誤解であり、大変心外です。私を「選挙マニア」と決めつけたい勢力があるのは感じていますが、それは「為にする」デマでしかありません。

 有権者へ訴える政策や中身が無いなら別ですが、私の政策は他の候補者よりもしっかりしており、政策パンフレットや公開討論会などを見ていただいたら他候補との違いは一目瞭然です。

 私は完全な無党派を貫き、強い信念を持って、ブレずに政策本位選挙を続けています。世のため人のために、ささやかな自己資金だけで戦う、そんな奇特な政治家は今日一体何人いるでしょうか?

 お陰様で私は毎回得票数を伸ばしており、兵庫県知事選でも神戸市長選でも、共産党公認候補よりも私の方が得票数は多いです。

 

●なぜ議員ではなく、首長(知事・市長)を目指すのですか?

 「当選」のし易さを考えると、たった一人しか選ばれない首長選より、定数の多い議員選挙の方が当選しやすいと思います。しかし、私は「議員」になるのが目的ではありません。政党に所属、議員らに応援を受けては、当選はできても行財政改革や議会改革を進めることができません。

 執行権を持つ「首長」になって、いわば経営トップとして独自の政策を実行し、先駆的な自治体経営を実践することで地域社会を元気にし、市民にその成果を享受してもらい、喜んでもらいたいのです。

 もう一点、国全体を変えるには「国会」という巨大組織を動かさないとできませんが、一自治体であれば、法令の枠内において、知事や市長の判断で相当の取り組みが可能です。地域を変えることによって成功事例を全国に広め、地域から日本を変えるのが私の使命と考えています。

 

●なぜ多くの知事や市長は、新しい取り組みができないのでしょうか?

 知事や市長には広範な権限が与えられています。ヤル気になれば変えられるのに、変えようとしない。あるいは問題に気付かないか、気付いても問題を解決する具体策を考えて実行できないからだと思います。

 政治の世界しか経験が無かったり、行政の古い常識に縛られている人が多いですね。有名大学を卒業して中央省庁の官僚になった人などは、常識的な政策しかできない人が多いです。知識偏重の教育を受けてきたエリートは、現場を知らず、自ら動けず、経済も知らないという人が少なくありません。

 物事を俯瞰し、社会課題を創造的に解決できるアイデアを考え出せるかは、学歴とは関係がなく、むしろ、地頭の良い人、他人様の苦労がわかる人がトップに就いたら、行政組織は大きく変わると思いますよ。

 東大法学部卒を筆頭とする官僚OBなどが国会議員になり、日本を導いてきましたが、今の日本の政治状況を観れば、政治家の選び方が明らかに間違っていたと言わざるを得ません。

 

●丸20年間も政治活動や選挙を続け、お金もかかるでしょう?

 政策本位選挙をやっているので、基本的に選挙にお金を掛けません。政党などの公認・推薦を受けた他候補に比べて、おそらく20~30分の1くらいの資金で戦っています。それでも、お金がかかる選挙制度になっています。

 そもそも、お金と組織がなければ互角に戦えない選挙制度はおかしいのです。これを変えて、候補者の政策・人物・力量の差が明らかになる制度にしないと、真に優れたリーダーが選ばれません。

 私は自由に政治活動をしたいので、政党に所属したり会社勤めすることなく、ガツガツ働いて収入を得ることもしていません。あくまで自身の収入の範囲内で活動しています。私には持ち家や親からの相続財産もなく、個人生活は至って質素です。

 

●全国初の「選挙条例」とはどんなものですか?  

 候補者は、政党の都合や政治家たちの思惑から舞台裏で決められ、擁立されることが多いです。選考過程が不透明で、真の競争(政策論争)がなく、候補者本人の能力・資質の優劣が分からない中で、リーダーが選ばれてしまいます。これでは経営手腕が無かったり、政治信条が間違っている政治家でも選ばれてしまうのです。

 私が提唱する全国初の「選挙条例」とは、まず公開討論会の複数回開催と候補者の参加を義務付け、知事や市長の候補者は各政党ではなく選挙管理委員会が公募する仕組みに変えます。

投票率を上げるために投票ポイント制度や、投票率の高い地域に補助金を手厚く配分するなどのインセンティブを用意します。また、一定得票数があれば、落選しても本人が希望すれば任期付き職員として3年間役所に勤務できる制度などです。

 対立候補の掲げた政策や反対意見を尊重することも選挙条例で明記します。選挙ポスターは各候補者がバラバラに貼り回るのではなく、選管が一括して貼り出し、ビラの配布も選管で行う仕組みに変えます。私はこれこそ「真の公営選挙」だと考えています。

組織や資金がなくても、政策と人物次第で良い政治家が選ばれる仕組みは必要不可欠です。

 

●ちょうぞうさんの活動はいつまで続けるのですか?

 神戸新聞の誤った記事を読んだ読者は、「中川は選挙にもう出ないと言っていたのに、神戸市長選に出るのか」という誤解が一部にありました。ひどいのは、「年齢的に体力の衰えを感じたから引退する」とか、私が言ってもいない尾ひれを付けて、SNSで発信している輩もいました。本当にひどい話ですよね。

 よく考えてみて下さいよ。使命感や危機感から、「第二の人生は公に捧げる」と選挙で戦い続けてきた私が、中途半端に引退するはずがありませんよ。

こんな偽情報や誤解があるのは、2021年(令和3年)の兵庫県知事選の際、神戸新聞のK記者が、私のインタビュー記事を書いた際、「選挙はこれが最後」という記事をミスリードしたことに起因します。

 私は「使命感と公に対する志だけで、全て自分一人で戦うこれまでのような選挙スタイルは最後にしたい。今回は見事当選し、寂しい選挙運動からは足を洗いたい」として、支持者の結束、後援会組織の強化を意図したものでした。

 ところが、K記者は、まるで兵庫県知事選が最後だというような記事を書きました。これが真相であり真実です。

 私の政策提言は信念に基づいたライフワークであり、これからも選挙や政策の大切さを全国の有権者に発信し続けます。

 

●「政治家の実績」について、どう考えていますか?

 国会にも地方議会にも当選回数ばかりを重ねた議員が多数いますが、政治家の実績とは当選回数ではなく、在任中に何をやり遂げたかが問われるべきです。 

 そこで、私は「在職定年制」を設け、政界の新陳代謝を図るべきだと提唱しています。同じ選挙区・同じ地位には、例えば12年以上いられないようにするなどして、政治の新陳代謝を促すべきです。また、具体的な政策が議論され、資金力や組織力ではなく、候補者個人の政策・能力・見識が問われる選挙制度(競争性の高い制度)にするべきだと思います。

 私は松下幸之助翁から「君は宮本武蔵になれ」と言われました。他流試合を通して心技体を磨き、一流一派を形成しなさいと。政治家が自己の当選や保身のために徒党を組んで群れるだけでは、政党政治は国民のために機能しません。

 だからこそ、私はシガラミを生まないために、選挙での不利を承知の上で完全な無所属・無党派の戦いを続けているのです。政策・実行力・信念・覚悟などを比べてもらえば、私が多くの政治屋と本質的に違うことが分かっていただけるでしょう。

 

●3冊の著書はどんな内容ですか?

 一冊目は『ツケは必ずあなたに回る』という本です。

政治に無関心で、投票にも行かないと、気付いた頃には、国や自治体の借金が膨大になり、そのツケが増税・財政破綻・恐慌という形で、国民一人ひとりに回って行きますよという本です。国政に比べて地方自治には無関心という人が多いですが、自治を疎かにして国政は良くなりません。自治こそ、政治の原点です。

 二冊目は『間違いだらけの政治家選び』という本です。

政治が良くならないのは、ちゃんと政治改革できる覚悟と能力のある政治家を選んでいないからです。信念がなく口先ばかりで立ち回る政治屋、社会や現場を知らない政治家では駄目です。政治のレベルが低いのは政党や政治家だけでなく、有権者自身や選挙制度などにも原因があります。

 三冊目は『絆の政治学 たおやかな女性力が日本を変える』です。

社会を変えるには子供たちの個性を伸ばし、女性がイキイキと活躍できる社会でなければなりません。男中心では「対立」の政治が続きます。現に政党の利害対立が政治や地方自治を歪めています。多様な考え方を持つ市民から構成される自治体の行政、すなわち地方自治は、政党とは一線を画すべきだと考えています。

●国や自治体の財政をどう見ていますか?

 税と社会保障の負担に財政赤字分を加えた「潜在的な国民負担率」は56.9%(令和4年度見通し)です。私たちの稼ぎの約6割が「お上」に召し上げられている格好です。

 一方、国の年間収入(一般会計の歳入)は約65兆円しかないのに、110兆円規模で歳出を続けています。その差額(約40兆円、約36%)は借金(公債金)です。政治や行政の世界しか知らない人達、自分でお金を稼いだこともない人達が、毎年予算のやり繰りだけを議論し、本質的問題を先送りしているのです。

 多くの自治体は補助金頼みの行政を続け、国政・都道府県政の下部組織・下請けに成り下がっています。これでは地域が中々自立できないのも当然です。

 子育てや教育は、サービス提供の現場から最も遠い国会で議論するのではなく、自治体に予算・権限・人員を移譲し、各自治体が創意工夫して成功事例を全国に広めれば良いことです。それをさせずに、文科省や厚労省など中央省庁(国)が予算と権限を握っていることが問題です。

 次世代にツケを回すことは許されません。国・都道府県から基礎自治体への「分権」(財源、権限、人材の移譲)を私は公約に掲げつづけています。

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